なるをの日々徒然

日々のアレコレをツレヅレします。

いざとなったら

子供の頃にとても貧しい時期がありました。

小6〜中2ぐらいの食べ盛りのころで、母と5歳下の妹と3人の1ヶ月の食費が1万円。

今とは物価も違いますが、かなりキチキチでやり繰りしていました。

 

スーパーの裏手で、大根の葉っぱや食パンの耳なんかを無料でいただいたこともありましたが、その時に母にきつく言い聞かされていたのが「無料でいただけるものには文句を言ってはならない。」ということでした。

そういう時にこそ、品性が出るものだと。

中学生やそこらの娘に、きちんとそういう話をする人なんですよね。

 

もしその品が気に入らないのであれば、ニッコリ笑って「ありがとう。でもうちは間に合ってます。」と丁寧にお伝えしなさい、と。

 

夕焼けで赤く染まった部屋で、内職のミシンを踏みながら話す母の姿を、今もはっきりと覚えています。

 

政府から布マスクが各家庭に2枚ずつ配布される、というひとつのニュースが紛糾しているのを見て、ちょっと主旨は違うけど、ふと思い出しました。

 

今まで普通だと思っていた日常から、少しずつ変わっていってしまっているこんな時にこそ、その人が持つ根底の性質が現れるのではないかと、ふと空恐ろしく感じています。

 

マスクを出せと店員さんに食ってかかる人や、お一人様ひとつずつと決まっているものを知らん顔して何度もレジに並ぶ人も、今までの普段からそんなことをしている訳ではないと思うんです。

 

だけど、こんな時だからこそ、普段取り繕っている根っこのところが見え隠れしてしまう、そんな気がします。

 

もちろん私だって大した人間じゃありません。

ちょこっとズルいことだってしちゃう時もあります。

見て見ぬ振りや気付かない振りをしたりもします。

それでも、いざとなったらニッコリ笑って「必要な方にどうぞ」と言える人でありたいと思います。

まぁ、慌てないように普段から備えておくのが1番かと思いますが。

 

いろいろと思うところもたくさんあるし、文句を言いたくなることもありますが、周りの人の不安を煽るようなことは避けようと思っています。

 

おかしいな?と思ったらソースを探して真偽を判断する。

ひとつの真実にもいくつも見え方があって、そのものは間違っていなくても他の事実を伏せることで怪しく見えてしまうこともある。

昨今のマスコミの在り方には、甚だ疑問を感じますがね。

 

自分の疑問や違和感をそのままにせず、怒りや不信感をダイレクトに発信せず、日々少しずつ勉強していこうと思います。