なるをの日々徒然

日々のアレコレをツレヅレします。

暁天推しの軌跡〜その3「同志との出会い編」

大阪にて、初めての生演奏を目の当たりにしてすっかり撃ち抜かれてしまった私は、いよいよ東京遠征へと乗り出します。

 

和太鼓という打楽器は、世界一大きな音が出せる楽器なんだそうです。

太鼓が大きいほど低く大きな音が出ます。

暁天が持っている1番大きな長胴太鼓(ながどうだいこ、皆さんがイメージするあの和太鼓の形です)をつゆポンが渾身の力を込めて打つと、身体の中の空洞という空洞が全て共鳴して震え、毛穴が開き、毛が逆立ちます。

空腹の時にそれをくらうと、胃袋が波打ってえらい事になります。

「まぁたぁ、そんな大袈裟なぁ」と思うでしょ?

ほんまなんですわ、これが。

 

大阪の初生演奏でそれを最前列で経験した私は、目眩がして汗が吹き出し、手がワナワナと震えました。

和太鼓の音は、心と身体の両方が震えるんです。

 

次の生演奏の機会は2017年6月。

そう、「どこイキ錦糸町編」でお馴染みの台湾フェスティバルです。

私の台湾フェス初参戦は錦糸町の翌年、この年からは上野の恩賜公演内のステージでした。

 

大阪での公演で初めてお会いしたフォロワーさん(私が神絵師と崇める暁天フリークのひとり)と約束し、新幹線とホテルと有休を確保して、いざ上野へ!

 

早めに到着した私たちは、同じく暁天フリークたち(後に私が勝手に暁天四天王と呼ぶ大の暁天ファンの方たち)とご挨拶を交わし、観覧席のテーブルでステージ開始時間を待ちました。

(暁天のライブに行く度に約束などしなくても必ず出会う四天王の皆さんは、今でも心の友であります。)

まだ暁天メンバーとファンの間の距離が近かった当時は、メンバーの方がファンのテーブルに遊びに来てくださり、一緒におしゃべりする、なんて機会もありました。

 

さて、喫煙者である私は、なんとなく喫煙所はどこかなぁなんてキョロついていると、人混みの中を飄々とひとり歩く、黒い暁天Tシャツ姿のふわふわパーマのイケメンを見つけました。

(その時が賽助さん初めてのパーマの時でした)

賽助さんも(当時は)喫煙者である事を知っていたのですかさず後をつけ、後ろ姿に「すみません、この辺りに喫煙所はありますか?」と素知らぬ顔で声をかけました。

振り向いた賽助さんは私の着ている暁天Tシャツ(もちろん賽助さんカラーの赤)に目を止め「……あぁw  Tシャツ…w」と微笑まれました。

あの笑顔は絶対に忘れません。

 

賽「ぼくも探してるんですけどね、どうも無いみたいなんですよね」

賽「ワンチャン、その辺の木陰でこっそり…w」

私「それはさすがにダメでしょうw」

賽「ですよねぇww」

私「すみませんいきなり声かけちゃって。神戸から来ました。応援してます!」

賽「これはこれは遠い所からありがとうございます。がんばります。」(๑′ᴗ‵๑)

 

時間にして1分あるかないかぐらい。

4年も前の事なのに、今でもあの光景、賽助さんの笑顔をはっきりと覚えています。

それにしてもよくもまぁそんな大胆な事をやってのけました。

恥じらいなど遠い昔に忘れたおばちゃんでよかった。

 

演奏後は賽助さんサイン会。

これに大変な人数が並んでしまいました。

大阪の時とは大違いです。

なにせ並んだ人全てとお話し、握手し、サインを書いて、終わったのが3時間後。

18時から始まり終わったのは21時を過ぎておりました。

他のメンバーはとっくに先に帰ってしまい、ちょびさんとすたっふさんだけが残って、最後まで対応してくださいました。

後に「神対応」と呼ばれましたが、ものすごく大変だったと思います。

私を含めたほんの数人、最後まで賽助さんを見守り、ご挨拶をして帰りましたよ。

 

そういえば、暁天推しの軌跡と名打ちながらも、ほぼほぼ賽助さんの事ばかり書いていますね。

それは仕方ない事です。

私はむしろ鉄塔さんより賽助さん推しなんですもの。

暁天を良く知る方にはわかってもらえると思うんですが、鉄塔さんと賽助さんは、同一人物でありながら、あまりにも佇まいや雰囲気が違うので、私は「鉄塔さんと賽助さんは別の人格なのでは?」という認識なのです。

もちろん三人称ではゴリゴリの鉄勢ですけども。

 

さて、こんなペースで書いていたら、一生書き終えられない事に気づいたので、少々まとめたり、他の話も書いたりしながら、ゆっくりと大切に綴っていこうと思いますので、のんびりとお付き合いいただけたらこれ幸いです♫

https://youtu.be/cn090Zf9nAI