なるをの日々徒然

日々のアレコレをツレヅレします。

小さな私と暁天さん。

胸が熱いなぁ。

今日、暁天さんが太鼓体験で出向かれた先が、数十年前に私が通っていた幼稚園だったそうです。

本当にたまたまの偶然なんだけど、なんだかとっても胸が熱くなりました。

 

両親共に関西出身ですが、私が生まれた頃は父の転勤で千葉県に住んでいました。

 

私の最も古い記憶は、幼稚園の年長さんぐらいですから5歳でしょうか。

丁度、妹が生まれる前後ぐらいからです。

 

年中さんまでは通園バスを使っていたようなんですが、年長さんになって引っ越し、最後の1年ほどは市バスで通っていました。

母が妹の産み月に入ると、1人でバスに乗って通園していました。

 

うっかり降りなければならない停留所を通過してしまい、バスの中で号泣して運転手さんが急きょバスを止めてくれた、なんてこともありましたっけ。

 

滑り台のすぐ横には大きな八重桜が植っていてね。

花の時期になると、滑り台の上に垂れ下がった枝からみんなが花をむしり、名札やら帽子に刺すのが流行っていたんです。

ところがずいぶんちびっ子だった私は、滑り台の1番上からでも枝に手が届かず、いつも花が取れませんでした。

 

ある時、滑り台の1番上のさらに手すりの上に登れば届くんじゃね?ということに気づき、その日の夕方、誰もいない園庭で、帰りのバスに乗る前に滑り台に登った訳です。

 

案の定、手すりの上には上手く登れず、危うく落下しそうなところを先生に見つかり、どえらく怒られた上に母にまでチクられ、家に帰っても怒られるという。

 

うんていの上にはぶどう棚がありましてね。

割と粒の大きな紫色のぶどうでした。

うんていが上手な子はぶら下がった状態から懸垂の要領で手を伸ばし、ぶどうを取ることができますが、やはりちびっ子の私はうんていの最初の棒にも手が届きません。

 

ある時、いっその事うんていの上に登ったらいけるんじゃね?ということに気づき、うんていを支える足に取り付いてよじ登り、誰よりも近いところからぶどう食べ放題に成功しました。

 

案の定、他の子供たちに「ズルイ!」と怒られ、またもやどえらく怒られた上にさらにはまたもや母にチクられ、ぶどうを買ってもらうことに成功しました。

 

そんな思い出深い幼稚園で、暁天さんが数十年後に太鼓を叩かれるとは……。

 

ちょびさんのとぅいーとを見てびっくりしました。

そしてなんだか、とっても嬉しかったのです。

 

首都圏に幼稚園はたくさんあります。

ましてや千葉。

ぐるりと回って、遠い昔の小さな私と暁天さんのご縁が繋がったように感じたのです。

 

卒園生として、ありがとうございました♫