もどかしくも書かずにはいられない
昨夜はドロドロに疲れていたのに結局4時まで寝られず、興奮覚めやらぬまま7時には目が覚めてしまった。
そしてそのままのテンションで、居てもたってもおられずまた書き始めました。
六行会公演を観た時と同じぐらいキマってしまっています。
アドレナリンの続く限り書いてみましょうかね。
「俺、がんばんなきゃいけないなぁ」の時の賽助さんの完成度はすごい。
おそらく昨日はそんな心持ちだったんじゃないでしょうか。
普段からただでさえスペックが高いのに、ガチの本気を出した時の賽助さんからは凄みさえ感じられる。
(どこイキ浅草編ではバチ飛ばしちゃったけど。)
(ほら、あの時は体調もアレだったし。)
(普段は飛ばさないから。)
「一曲入魂」
昨日の賽助さんはそんな感じだった。
しっかりと落として安定した腰、筋肉の束が見えるような腕、一点を集中して見詰める澄んだ眼差し、真一文字に強く結ばれた唇。
気合いが腕から太鼓にそのまま伝って、濁りのない強い音を生み出す。
そしてただ強いだけではない。
しなやかにひるがえる手首、柔らかくもしっかりとリズムを刻む膝、時に俯き時に天を仰ぐ滑らかな首。
緩急が複雑に編み込まれた楽曲を見事に乗りこなす確かな存在感。
フォロワーさんがとても上手く表現していた。
「薄く綺麗な衣を纏った力強さ」
昨日の賽助さんの演奏を観れてよかった。
そして、つゆポンの凄いところは「常にその状態が基準で、そこからさらに強弱柔剛のバリエーションがある」ということ。
さすがプロと言ってしまえばそのままだけど、鋭い眼差しと怖いぐらいの気合いの中にも「太鼓を打つのが楽しくて仕方がない」というエッセンスがしっかりと伝わってくる。
太鼓を打つのがお仕事とおっしゃるけれど、あんなに楽しくお仕事ができるなんて羨ましいほど。
楽曲の全てはつゆポンの支配下にある。
舞台上で強く柔らかく確かな存在として、共演者が奔放に紡ぎ出す糸はやがて、すべてつゆポンの手の中に収束されていく。
6人であっても2人であっても、そこには「暁天」の音がありました。
嗚呼神様、画才はとうに諦めました。
せめてこの心のうちを、もう少し上手く言葉で表現できる力をください。
それかみんな、観に行って。
直接感じてきて。