暁天推しの軌跡〜その4「つゆポン結婚披露パーティ編」
さて、6月の台湾フェスの興奮も冷めやらぬ8月の末、残暑厳しい良いお天気の日に、私は再び東京に来ておりました。
暁天の和太鼓担当、露木一博さん(つゆきかずひろ、カラーは紫、プロの和太鼓奏者、つゆポン)と奥様のうららさんの結婚披露パーティに参列するためです。
つゆポンとうららさんは同じ大学の先輩後輩という間柄。
偶然2016年のロシアでの公演で再会することとなり、つゆポンが10年愛を実らせて見事ゴールイン♫
結婚披露宴は友人や家族だけでなく、なるべくたくさんの人を呼んで、できるだけ盛大にやりたい!というおふたりの希望で、暁天ファンにもお声がかかったのです。
場所は東京タワーの足元、NHKの撮影スタジオ貸切で4時間超えの大パーティです。
お祝儀替わりの入場チケットは少々お高めでしたが、有名レストランのおしゃれなケイタリングや素晴らしいステージの数々、もちろん暁天の演奏も含めてものすごく豪華で楽しいパーティでしたよ!
暁天メンバーの出身大学である玉川大学は芸術系の学校で、そこには古くから和太鼓を演奏する部活動?サークル?があります。
授業ではなく有志が集まって和太鼓を打つ、という集まりのようですが、その技量は素晴らしく、「玉川太鼓」と呼ばれ海外公演や学校で行われる学園祭での演奏は大変な人気なのだそうです。
そして暁天メンバーは後に入るてぃけしも含めて全員が、その玉川太鼓出身なのです。
暁天で大人気の定番曲「ミレニアム」(賽助さんが笛を吹くあの曲ね)は玉川太鼓のオリジナル楽曲で、学校に許可を得て少人数用にアレンジして演奏されているそうです。
そんな学校ですから、大学時代のご友人方も芸術系に進まれた方は多いのです。
鉄塔さんと因縁浅からぬ漫画家の浅野いにお先生も同窓生ですしね。
暁天メンバーによる拍子取りから、まさかのつゆポンとうららさんによるクラシックバレエがオープニングアクト!
そこから怒涛のごとく豪華な出し物がこれでもかと続きます。
卒業後も芸術の道に進まれた方も多く、ダンスありコントあり、身内だけのパーティですからアドリブありハプニングありであっという間の楽しい4時間でした。
途中、立食テーブルで偶然最後の一個のハンバーガーを賽助さんと譲り合う、なんてこともありましたっけ。
最高のステージは暁天による「ミレニアム」の演奏。
玉川大学出身の列席者の方々は皆さんご存知の楽曲なので、盛り上がること盛り上がること!
大歓声でした♫
なんともレアな素晴らしい経験をさせていただきました。
今でもラブラブで2人のお子さんのパパとママになったつゆポンとうららさん、末永くお幸せに♫
暁天推しの軌跡〜その3「同志との出会い編」
大阪にて、初めての生演奏を目の当たりにしてすっかり撃ち抜かれてしまった私は、いよいよ東京遠征へと乗り出します。
和太鼓という打楽器は、世界一大きな音が出せる楽器なんだそうです。
太鼓が大きいほど低く大きな音が出ます。
暁天が持っている1番大きな長胴太鼓(ながどうだいこ、皆さんがイメージするあの和太鼓の形です)をつゆポンが渾身の力を込めて打つと、身体の中の空洞という空洞が全て共鳴して震え、毛穴が開き、毛が逆立ちます。
空腹の時にそれをくらうと、胃袋が波打ってえらい事になります。
「まぁたぁ、そんな大袈裟なぁ」と思うでしょ?
ほんまなんですわ、これが。
大阪の初生演奏でそれを最前列で経験した私は、目眩がして汗が吹き出し、手がワナワナと震えました。
和太鼓の音は、心と身体の両方が震えるんです。
次の生演奏の機会は2017年6月。
そう、「どこイキ錦糸町編」でお馴染みの台湾フェスティバルです。
私の台湾フェス初参戦は錦糸町の翌年、この年からは上野の恩賜公演内のステージでした。
大阪での公演で初めてお会いしたフォロワーさん(私が神絵師と崇める暁天フリークのひとり)と約束し、新幹線とホテルと有休を確保して、いざ上野へ!
早めに到着した私たちは、同じく暁天フリークたち(後に私が勝手に暁天四天王と呼ぶ大の暁天ファンの方たち)とご挨拶を交わし、観覧席のテーブルでステージ開始時間を待ちました。
(暁天のライブに行く度に約束などしなくても必ず出会う四天王の皆さんは、今でも心の友であります。)
まだ暁天メンバーとファンの間の距離が近かった当時は、メンバーの方がファンのテーブルに遊びに来てくださり、一緒におしゃべりする、なんて機会もありました。
さて、喫煙者である私は、なんとなく喫煙所はどこかなぁなんてキョロついていると、人混みの中を飄々とひとり歩く、黒い暁天Tシャツ姿のふわふわパーマのイケメンを見つけました。
(その時が賽助さん初めてのパーマの時でした)
賽助さんも(当時は)喫煙者である事を知っていたのですかさず後をつけ、後ろ姿に「すみません、この辺りに喫煙所はありますか?」と素知らぬ顔で声をかけました。
振り向いた賽助さんは私の着ている暁天Tシャツ(もちろん賽助さんカラーの赤)に目を止め「……あぁw Tシャツ…w」と微笑まれました。
あの笑顔は絶対に忘れません。
賽「ぼくも探してるんですけどね、どうも無いみたいなんですよね」
賽「ワンチャン、その辺の木陰でこっそり…w」
私「それはさすがにダメでしょうw」
賽「ですよねぇww」
私「すみませんいきなり声かけちゃって。神戸から来ました。応援してます!」
賽「これはこれは遠い所からありがとうございます。がんばります。」(๑′ᴗ‵๑)
時間にして1分あるかないかぐらい。
4年も前の事なのに、今でもあの光景、賽助さんの笑顔をはっきりと覚えています。
それにしてもよくもまぁそんな大胆な事をやってのけました。
恥じらいなど遠い昔に忘れたおばちゃんでよかった。
演奏後は賽助さんサイン会。
これに大変な人数が並んでしまいました。
大阪の時とは大違いです。
なにせ並んだ人全てとお話し、握手し、サインを書いて、終わったのが3時間後。
18時から始まり終わったのは21時を過ぎておりました。
他のメンバーはとっくに先に帰ってしまい、ちょびさんとすたっふさんだけが残って、最後まで対応してくださいました。
後に「神対応」と呼ばれましたが、ものすごく大変だったと思います。
私を含めたほんの数人、最後まで賽助さんを見守り、ご挨拶をして帰りましたよ。
そういえば、暁天推しの軌跡と名打ちながらも、ほぼほぼ賽助さんの事ばかり書いていますね。
それは仕方ない事です。
私はむしろ鉄塔さんより賽助さん推しなんですもの。
暁天を良く知る方にはわかってもらえると思うんですが、鉄塔さんと賽助さんは、同一人物でありながら、あまりにも佇まいや雰囲気が違うので、私は「鉄塔さんと賽助さんは別の人格なのでは?」という認識なのです。
もちろん三人称ではゴリゴリの鉄勢ですけども。
さて、こんなペースで書いていたら、一生書き終えられない事に気づいたので、少々まとめたり、他の話も書いたりしながら、ゆっくりと大切に綴っていこうと思いますので、のんびりとお付き合いいただけたらこれ幸いです♫
暁天推しの軌跡〜その2「初めての生演奏編」
前回、すっかりあっという間にどっぷりと「暁天の賽助さん推し」にハマり込んだ私ですが、それでもまだ神戸から東京まで暁天に会いに行く、とまではいってませんでした。
ひたすら動画を漁り、繰り返し繰り返し、「もしかして私も太鼓叩けるんちゃうか⁈」と勘違いするほど見るだけでした。
そんな私に朗報が。
2016年10月29日、暁天が大阪に来るーー!
大阪天満宮のハロウィンのイベントに参加されるということで、暁天としても初めての遠征です。
嬉しいことに翌日は姫路でのイベントにも参加、2日連続で会えるという奇跡が起こりました。
その日の顛末は過去のブログにも書きましたので割愛しますが、1番驚いたのは「賽助さんて全然しゃべらん!」ということ。
雑談やゲーム実況での鉄塔さんを良く知る方には俄には信じ難いと思いますが、賽助さんは暁天の時はほとんどしゃべりません。
おしゃべりはMC担当のちょびさんに任せており、マイクを向けられても拒否するほど。
たまに他のメンバー紹介や賽助先生としての書籍の宣伝のためにマイクを持ちますが、それはそれは真面目に紹介する以外は、本当に無口です。
それでも、すべり散らかすちょびさんにボソっとマイク無しの小さな声でツッコミを入れたりするので、私は後に、ちょびさんがスベリ始めたら賽助さんの声に耳をすますようになりましたよ。
大阪に来られた当時は暁天もまだあまり認知されておらず、演奏を聴きに来られた人も100人足らず。
そのうちの半分ぐらいはおそらく、「ただ和太鼓を聞きに来た近所の人」だったように思います。
演奏後のサイン会(著書「君と夏が、鉄塔の上」リリース直後)では、ひとり別テーブルを用意された賽助先生がぽつんとヒマそうにしていたほどでした。
ヒマそうな賽助さんをフォロワーさんとイジり倒したのも懐かしい思い出です。
そして、生まれて初めて和太鼓の生演奏を聴いた私は魂の奥底まで揺さぶられ、ついには東京にまで暁天を追いかけて行くことになるのです。
暁天推しの軌跡〜その1「邂逅編」
「和太鼓パフォーマンスグループ 暁天」との初めての出会いはYouTubeの動画でした。
それまではいわゆる「箱推し」だった三人称の、鉄塔さんが和太鼓をやっているシーンが「どこイキ浅草編」で見れる、というのを知ってなんとなく見てみたのが最初でした。
演奏前に会場(俗に言う「ロシアへの登竜門」BIG SHIP)の前でドンさんぺーさんと立ち話をする鉄塔さんは、相変わらずヒョロっとして笑いジワのある「しばんちゃん似」のいつもの鉄塔さんでした。
ところが。
メガネを外し衣装をまとってステージに立つ鉄塔さんは、その時初めて出会った「賽助さん」でした。
その瞬間から鉄塔さん推し(というより賽助さん推し)が確定し、それは今もなお確固たる礎となっています。
「どこイキ浅草編」は何度見たことでしょう。
おそらく私が今までに見たすべてのYouTube動画の中でも最高クラスの再生回数を誇っていると思います。
1時間ほどの動画の中で、演奏シーンは何分何秒から始まる、バチを飛ばすシーンは何分何秒、なんてことまで頭に入っていました。
小さなiPhoneの画面で100枚以上スクショを撮り、仲間内では「スクショ職人」とまで呼ばれました。
ドンさんぺーさん始め、ファンの方達も来られるということで、体調不良を押していつもより張り切っちゃう賽助さん。
張り切りすぎていつもは飛ばさないバチを飛ばしちゃう賽助さん。
2曲演奏した後は顔色が土の色になっちゃう賽助さん。
どの賽助さんも愛おしいです。
そしてその時から、私の「暁天推しの歴史」が始まったのです。
聖地巡礼と称して浅草のBIG SHIPの前まで行き記念写真を撮るのは、まだもう少し先の話。
ドンさんお疲れ様でした!
ドンさん CRカップお疲れ様でした!
練習からずっと追いかけて拝見してました。
最初は正直どうなることかと思った時もありましたが、人間、こうも短期間で成長するものか!と驚きの伸び率でしたね!
元々真面目で一生懸命なドンさんが、一回りも年下のまさのりさんに真剣に教えを受ける姿勢や、明るく優しい人柄でみるみるうちに蛇足さんと3人のコミニュケーションが上手くなっていく姿、ただのゲーム実況としてではなく、人としての学びが多い配信でした。
前日のスクリム最終日に泣きの一回とはいえチャンピオンを取られた時は、本当に嬉しかったです。
本番の試合結果は恐らく悔しいものだったことでしょう。
あれほど大きなタイトルの大会でしたが、参加する事に意義がある、とは思っていなかったと思います。
出場するからには勝ちたい、という思いが日に日に大きくなってきているのが伝わってきましたもの。
そして恐らく、その思いが強い人ほど、より大きく成長し、勝ち残っていくのでしょう。
楽しむ事を最優先にしている三人称とは、ある意味、反対側の(あるいは向こう側)の世界での戦いの経験が、今後のドンさんにどんな影響を及ぼすのか、これから見届けたいと思います。
百三人称はとても良いチームだったと思います。
見ていてとても楽しかったし、もしも百三人称の今後があるのなら、見てみたい気もします。
それでもやっぱり。
鉄塔さん、ぺーさんとわちゃわちゃキャーキャーやってる時のドンさんが1番好きだなぁ♫
ともあれ、感動をありがとうございました。
お疲れ様でした♫
CRカップ ドンさんリーダー出場!
さて私は「生涯鉄推御免」を掲げるゴリゴリの鉄塔/賽助さん推しですが、今回は三人称のドンさんについて。
いやー連日のApex練習配信、気合い入ってますね!
今やYouTubeでの APEX配信最高視聴率を誇るCRカップに出場が決まって、不安とやる気がないまぜになっているドンさんをリーダーに、毎シーズンプレデターランクに駆け上がり「ピンクの悪魔」の二つ名を持つ14ptの男「まさのりさん」と、まさかの鉄塔さんより歳上、ニコニコ動画歌ってみたでも有名な「蛇足さん」の3名による「チーム百三人称」。
(お三方の年齢の合計が103歳だとか)
競技シーン出身のコーチ、すでたきさんもついて、ますます熱が入ってきています。
私はApexをやっていませんし、ルールなども配信で見た範囲でしか知らないど素人ですが、それでも参加される皆さんのレベルのとんでもない高さはわかります。
ダイヤランクに行けてすごいなぁ上手いなぁと思っていたのに、そのドンさんが赤子のようにひねられてしまう世界。
そりゃ一筋縄ではいかないですよね。
今は15日の大会本番に向けての練習試合(通称スクリム)の真っ最中ですが、なかなか上位まで生き残れない厳しい世界です。
いつもは何があっても明るく元気なドンさんが、さすがに先日の配信の最後には悔しさのあまり雄叫びを発してました。
コーチのすでたきさんのおっしゃる事はおそらくお三方とも気づいてたりわかってた事。
それが実際に行動するとなると、なんと難しいことか。
見ているだけでも胃が痛くなるような連戦連戦。
三人称でやる時にはチームをぐいぐい引っ張っていたドンさんが、まさのりさんについて行くのに必死、というレベル。
そんなチーム百三人称ですが、いよいよ今日でスクリム期間も終わり。
明日15日はとうとう本番です。
悔しさの雄叫びの日から一転、憑き物が落ちたかのように、前向きでアグレッシブになってきたお三方。
日に日に戦果が上がってきています。
こりゃ、一発逆転、あるぞーー!
愛すべき3人のおじさん達
供給がたくさん過ぎるとかえって書けなくなる典型でした。
久しぶりに三人称の皆さんについて。
結成10周年を迎えた今年。
同時にYouTube登録者数50万人突破という、Wでおめでたい年となりました。
今までは、5周年だろうと雑談が200回、300回を迎えようと、特にお祝い事やイベント的な事はされてこなかった三人称ですが、さすが10周年。
これまでの無関心を全て覆すようなイベントラッシュです。
「そんなにがんばっちゃって大丈夫?」と心配してしまうほどの大忙しです。
いや嬉しいけども。
その理由がまた三人称らしい、というかたぶん鉄塔さんが言い出したんでしょうけれど。
「特に何かやろうと思ってなかったけどふと気がついた。YouTube登録者数の次のお祝いタイミングは100万人。10年やって50万人だから単純計算であと10年。そこまでやれるかわからないから今のうちにお祝いしとく。」
いかにも、な理由でニヤリとしてしまいました。
そんなユルいスタンスが三人称の魅力だと思いますよ。
50万人記念配信、各種ゲームの大会への参加、記念グッズ発売などなど。
他にも個人ではドンさん単体でのAPEX大会参加や賽助先生のコラムの朝日新聞掲載など、日々新しい情報がてんこ盛りです。
どんどん生まれる最近のゲーム配信者と比べて、決してゲームがすごく上手というわけでもない、3人のおじさん(いや私よりお若いですけども)が、ただわちゃわちゃとゲームを楽しんでいる。
それがこんなにも面白い。
ただ小学生男子のようなノリでわちゃついているように見えて、実はとても考え抜かれているお三方のスタイル。
お三方の中ではディスり合いもあるしたわいもない悪態をついたりもするけど、他の配信者へのリスペクトは絶対。
「上手くやる」ことよりも「面白くやる」ことへの飽くなき追求。
ひとつひとつのゲームに対して「効率」よりも「楽しむ」ことを最優先するスタイルは10年前から変わりません。
ある程度年齢を重ねているし、配信界では歴戦の勇者ですから、おバカに見えてちゃんと考えているんですね。
若くてオトコマエな配信者がたくさんいる中でも、現代の若者にも愛される3人のおじさん達を、これからもずっと応援していきたいと思います。