うちの「神さん」
自営業を営む母の住む実家には、小さな神棚が祀ってある。
商売を司ると言われる、荒ぶる神を祀っているのだ。
月に二度。
一日と十五日の午前零時に、ささやかなお供えをしてお経をあげる。
神でも仏でもありがたいものは兼用なのか、お経は般若心経。
実家にいた間は私も半ばめんどくさいと思いながら、隣に立って頭を下げていた。
今は年に一度。
大晦日の年越しに付き合う程度。
家中の電気を消し、小さなロウソクの灯りだけで経本を読むのは難しくなってきたけれど、何十年も続けていたことは身体に染み付いているのか。
手に持った経本を見ることはほとんどない。
そして月に二度、長い間続けている母の手にも経本。
「まだ覚えてないの?」と揶揄することはしない。
一度覚えたことを、再び忘れてしまう年齢になってきているのだ。
霊験があったのかどうなのか、それはわからない。
そういうものではないらしい。
良いことがあれば「神さんのおかげ」
悪いことがあれば「うちの神さんはその時によそ見をしていた」ということだ。
神さんにとっては都合のいい、なんともポジティブな信者である。
その神さんのおかげか、今のところ我が家には大惨事もなく、良いことも悪いことも、まぁそこそこといったところ。
やってなければもっと大変だったかもしれないと考えれば、全てこともなし。
定年のない自営業をこの歳になって一人でやっている母の、心の支えになっているのなら安いものである。
商売繁昌から始まり、家族みんなの健康と成功。
果てはその時気がかりな細々とした案件まで。
毎回ささやかなお供えといつも噛んでしまうお経の代償にはずいぶん過剰なお願いである。
全部叶えてやるには神さんも荷が重いことだろう。
たぶん半分ぐらいは聞き流されていると思う。
かく言う母も、お経が終わるとさっさと電気を点け、さっきまで見ていたドラマの続きに取り掛かっている。
そもそも神棚の置き場所が台所の冷蔵庫の上である。
母も神さんもお互い様といったところか。
そんな神さんと母のゆるい関係が、我が家では細々と続いている。
それはそうと、最近書き始めたという母の終活ノートには、神棚の行方は書いてあるのだろうか。
もしうちに来られるとなると、すでに先住民である義父母の仏壇とケンカしないか些か心配である。
狭い我が家の中で神と仏のアルマゲドンが勃発するのだけはなんとしても避けたい。
借家だし。
できれば母と共に天界へとお帰りになっていただきたい、なんて不届きなことを考えてしまうあたり、ずいぶん不出来なムスメである。
うちの神さんは、少しゆるくてとても寛大である。
どうか母の毎日を安寧に。
そして、ちょっぴりでいいので商売繁昌をよろしくお願いします。