これもひとつの救いか。
さて今日は、先日とは別メンバーによる送別会を催していただきました。
遠くは東京や三重、滋賀から来てくれた人、かつての教え子たちや元社長、元同僚、退職された先輩方まで30人も集まってくれました。
みんな仲の良かった旧会社のメンバーだったので、まるで同窓会のようで、それはそれは楽しい会でしたよ。
一時は、自分がこの会社でやってきたことはすべて無駄だったとまで思いつめていたので、みんなが別れを惜しんでくれたのが救いになりました。
ありがとうございました!
さて、その会の参加者にひとりだけ、実は会いたくない人が来ていました。
私が会社を辞める遠因となった言葉を私に言った人です。
今でもその時のシーンが夢に出ては飛び起きる、ということがあります。
もう会うこともないだろうと、なるべく考えないようにはしてたので、今日もできるだけ離れて座っていたのに、場も和んできた頃にわざわざ近くまで来てひとこと、
「なんで辞めたんですか?」
このひとことで、言うまいと思っていたことをつい言ってしまいました。
「あなたの言った言葉が忘れられなくて、続けることができなかった。」と。
するとどうしたことでしょう!
本人は「そんなことは言ってない」の一点張り。
そんなこと言うはずがない。
そんなこと言うと思われてたなんてショックだ、と。
私は話の流れから、それに対して自分がどう返したかまで明確に覚えていたので、それを説明するもやはり言っていないと譲りません。
言った言ってないの水掛け論になるからもういいよ、と言っても納得がいかないと食い下がります。
誰にも聞こえないような小さな声での攻防戦でしたよ。
他の人からの声かけがなければ、延々と水を掛け合っていたかもしれません。
その後、ずっとモヤモヤとしていましたが、先ほどふと思いました。
言った本人がまったく覚えていないその言葉に、いつまでもこだわっていてはいけない。
私の方こそが忘れなければいけない。
一年以上ずっと苦しめられていた言葉から、少しだけ解放されたような気持ちになりました。
こうやって、時間が経てば少しずつ自分の中で消化していけるのでしょう。
人を傷つける言葉や態度は、やった人よりもやられた人の方が覚えている、とはよく言ったものですね。
それでも忘れるように、忘れられるようにしなければならないのです。
自分のために。